遣唐船と鑑真和上
754年に帰国した遣唐船は、副使大伴古麻呂の男気で、60歳を越えた盲目の、天下の大僧正、鑑真和上をおつれしたということで名声を博しました。
それだけでなく、和上の弟子思託のメモを土台に、文章博士、淡海三船(721~785)が『唐大和上東征伝』(群書類従、巻六十九)をかきました。
この文中の「阿児奈波」は、元来この島が、和名の沖縄であることを立証しています。
歴史学者、東恩納寛惇は「沖縄列島を含む南島が大宰府の管轄であったことは、書紀、続紀、延喜式などに散見するところで」・・・とかいています。
沖縄史第一期を「南島統治の時代」とし、列島を纏めて南島とよび、管轄した大宰府は、「師の島々」「沖の島々」「先の島々」そのつきる所の島を「果ての島」(即ち波照間)と「命名」し云々とかいておられます。
沖縄島は沖の島々の首島で、即ち沖縄本島です。
わたしたちが沖縄ツアーなどで訪れる、あの沖縄です。
後に沖縄は薩摩藩の支配下におかれ、藩は鎖、国令から沖縄を外す必要から、沖縄に独立国・琉球のイメージを残しました。
琉球国存続を印象づける「江戸上り」(薩摩では琉人立と呼ぶ)などの差別宣伝によって、今も沖縄の内外に誤解がありますが、ここは太古から和名の沖縄なのです。